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雪 / オルハン・パムク

雪
オルハン・パムク 和久井 路子

藤原書店 2006-03
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読んだのは2月の寒い頃ですが。雪の季節に読まなきゃなあと思って。実際今年は雪が多かった・・・。

前作「私の名は紅(あか)」は去年の秋に読んだ。オルハン・パムクが2006年ノーベル文学賞を受賞したせいで話題になったのは「雪」の方なのだけど、装丁の華やかさと細密画師の話であるという点に惹かれてこちらを先に買った。濃密でロマンティックな小説で、細密画自体好きなのでその世界に触れることに喜びを感じながら読んだ。展開が気になってするすると読めてしまう本。恋愛とミステリが絡まり合っているため緊迫感を保ちつつ、たっぷりと芸術に対する畏れが語られる。素晴らしい技法だった。

この「雪」は作家自らが政治小説と呼び、9.11直後に出版されたことで世界的なベストセラーになったそうだが、ではイスラムについて知識や関心がないと面白くないのかと言うと全然そんなことはない。パムクの巧妙さだ。冒頭、主人公Kaはカルスという貧しい地方都市に向かうバスに乗っている。道が見えなくなるほど激しく降る雪の中で、彼は無邪気に雪を見つめる。静寂を楽しみ、清められた世界にときめきすら感じている。そう、彼は政治亡命者ではあるけれど政治に深く関わったことはなく、「孤独を愛すはにかみや」の詩人なのだ。私たちは彼の感じやすい心に共鳴しながら、知らないうちにトルコの主義主張の異なる人々の衝突に「巻き込まれて」行く。

学生時代の友人である美しいイベッキが離婚したと聞いて、彼女を手に入れるべく下心を持ってカルスに向かったKaは、新聞記者と名乗った手前様々な人にインタビューして回るが、心は詩人だ。と言うより、無神論者であり日和見主義者でもある。人々の話に深くうなずき時に涙しながらも、決して同調はしない。できれば彼の孤独は癒されたのだろうけど...。文化人であり富裕層出身のため丁重に扱われるが、電話は盗聴されるし警察の尾行が付いている。この小説を読む私も、立場はKaと同じだと思った。Kaの目を通してこそ、イスラム社会を間近に客観的に見ることができる。

イスラム主義者、政教分離・西欧化主義者、軍のクーデター。人々は貧しく、テロリストは英雄扱いされる。少女たちは命をかけて髪を隠し(彼女たちの心情は「テヘランでロリータを読む」でなんとなく理解していた)、青年たちは自分が何をしているのかよくわかっていないまま命を落とす。貧しい民衆は煽動され易い。

カルスの街を深々と覆うのは雪、人々のやるせなさを包むのがKaの詩。雪も文学も普遍的なものであり、かつとてもはかない。詩が書けなくなっていたKaはカルスで次々に天啓を受けて次々に美しい詩を書いていくが、それらは1篇たりとも読者の目に触れない。美しいイベッキはKaと共にフランクフルトに行くことを了承するが、数年後Kaは孤独の内に死ぬ。雪が溶けたあとのカルスの街はとてもみすぼらしいだろう。政治・宗教・愛、いずれにも正解と言える道はなくて、永遠に平和なんて訪れないんじゃないかと思ってしまうのだが、そう言った信条みたいなものを追い求めるのが生きる情熱の源であり、そんな情熱を持たない人間は不幸せだとも思う。

読了後時間がたっているので距離を置いた感想になってしまったが、パムクの天才的な構成力と描写力(誤訳が多いようだが)により、今も瑞々しい切なさが残っている。カルスの風景が、絵画のように胸に焼き付いている。