山種美術館で開催されていた「生誕120年 奥村土牛」展に行った(5/23で終了)。私が日本画など見るようになったのはごく最近で、はじめて九段の山種美術館を訪れたのが2006年(律儀にブログに書いてあった)。ショップに綺麗なポストカードがたくさんあって、その中で「これが一番好き」と選んで購入したのが土牛の《水蓮》だった。その頃は日本画に対して高い敷居を感じていて、でも土牛にはジャンルを超えた普遍性があるなあなんて思ったっけ。生意気に。
その後山種に通い《吉野》《醍醐》《鳴門》《舞妓》と代表作を拝見してすっかり土牛を知った気でいたけど、やっぱり回顧展を見てはじめて作家の姿が見えてくるもの。創立者山﨑種二氏は「相場の神様」とうたわれた勘を持ってしてか、無名の頃から土牛の作品を蒐集し、現在山種美術館は135点という土牛コレクションを築いている。戦後の秋の院展の出展作をほとんど買い上げているというから、重要作品は大体持っているということだろう。何しろ代表作のほとんどが還暦後(1949年以降、かな)に描かれていて、そして101歳で亡くなるまでほとんど毎年出展し続けたという、鉄人のような巨匠だ。
ただ、その姿は求道的。本展に合わせて作製された所蔵作品集、1991年に開催された「追想展」の図録、自伝「牛のあゆみ」など読んで強烈に感じるのは芸術を模索する土牛のストイックさ。↑こんな優しくやわらかな画を残しているけれど、気の向くままさらっと描き流してるわけじゃない。描きたい対象を見つけたら、ひたすら見つめて徹底的に写生。そして自分の中で時期が熟した時に制作に入るが、「土牛百遍」という言葉がうまれるほど手を加え続け(いつまでも描き続けるので作品を手放してくれない)、決して出来に満足はしていなかったらしい。
阿波の鳴門を見た時。どうしても描きたいという気持ちを抑え切れず、大揺れの汽船の上で妻に帯を掴んでもらいながら何十枚も写生をしたとか。通常のように対象を見ながら制作することができないので、苦労しながら頭の中の印象を掘り出したと言うが、この作品は土牛の最高傑作と言われている。群青、白緑、胡粉などが塗り重ねられて、その不思議な造形と共にえも言われぬ色彩に魅了される。霊感を出すことを意図したがうまくいかなかったと作家の言葉があるが、超常な雰囲気にあふれている。
本展を見て確信したのだが、私は土牛の色遣いが好きなのだ。日本の風景はイメージ的に灰色がかっているのだけど、土牛の作品には必ずとこかに虹のように明るく澄んださし色があって、すごくほっとする。この《門》という作品は姫路城の「は」の門なのだそうだが、門のむこうの白壁の上にのぞく青空と木の緑が明るくて、構図の面白さなどに感心しつつその部分に双眼鏡の視野がかかるとうれしくてテンションが上がってしまった。
作品集に掲載されていた『塔影』12巻9号(1936年9月)より抜粋。
写生とは云っても、私は特に、そのものの気持ちを捉えることに力めている。一つのものを描こうとする時、勿論その形を写すことは定まっているが、その後の写生は気持ちをつかまえるという態度で為されるべきだと考える。私の云う写生は、その意味の、外観の形よりも内部の気持ちを捉えたいということである。(中略)
度々色を重ねて塗っても、それが薄く見えるという境地、それが現在の私の目指しているところである。色を塗っていながら、その塗っている気持ちが見えないというところまで行かなければならないと、私は考えているのである。
土牛が47歳頃の言葉だが、その姿勢はずっと変わらなかったように思う。速水御舟の研究会に加わったりもしたそうだが、写実より精神性を重んじた土牛の画風はその人柄をしのばせるように素朴でぬくもりがあり、かつ深遠だ。どこか職人のようでもある、この巨匠に私は参ってしまった。




コメント (2)
こんばんは。
ogawamaさんのお気持ちがストレートに伝わって来る文章ですね。
「牛のあゆみ」古本屋で見つけて読了しました。
土牛は誠実で一本義な方だったのかなと思っています。
投稿者: meme | 2010年5月29日 22:15
日時: 2010年5月29日 22:15
>memeさん
土牛をきっかけに、近代日本画家の人となりに興味が湧いてきました。
やっぱり古径、御舟、青邨あたり・・・。
日本画壇て上下関係がめちゃくちゃきびしかった(今も?)そうですが、そんな中を生き抜いた巨匠達は社会的に尊敬されていて、土牛なんて亡くなるまでまわりに人が絶えなかったようですね。
今の作家さんたちはお名前がマイナーになるのが早い気がします。
投稿者: ogawama | 2010年5月30日 21:08
日時: 2010年5月30日 21:08